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続く - 02 -
コヤママサシ
5月19日
「デザイン」をするということは、こんがらがった事を整理するということ。
「写真」に「順番」もつける。
きちんと納得しないと先には進めない。
こんがらがった心の奥にある、いやらしい心と向き合う。
「デザイン」と「写真」は漠然と同じだと思っていた。
「写真」はシャッターを切った「瞬間に完結する」ノックアウトパンチの力がある。
「衝動」や「潔さ」が刻まれ、言葉とは無縁の「魂」「鎮魂」がすでに宿っている。
「デザイン」は「ノックアウトパンチ」の軌道を数値にして、形や色を決め、
「衝動」「潔さ」を自分のストーリーに沿って並べ、文字の大きさ行間、配置を決める。
「瞬間」には、アイデアスケッチの時間が加わり「瞬間」が時間軸から「概念」になり
「瞬間のイメージ」を創る。そこに「瞬間」そのものはない。日々の創作活動の核。
当たり前の事の「当たり前」をはずしながら問い続ける、それすら「当たり前」。
順序のないページはない。
透明なページというものもない。
商業でも拡声器でもアートでもない「デザイン」が必要。
若林区の写真を、被災をうけていない僕が真正面から見るために、
欠けていた心を補い、忘れていた いろいろなものを同時に思い出しながら「並べた」。
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