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宮城県に行った理由 道程
コヤママサシ
4月24日
仙台市内で 夜からのライブ撮影の仕事のため向かう
ライブハウス入りの4時間前に仙台に到着
沿岸部を「見る」ため テレビ 新聞 ネットからの情報のみで
弟と同乗者もう一人の3人で向かった
仙台東部道路を超えると 景色は一変した 車内の言葉はさらに止まった
ため息をつかないと窒息しそうだった 汗が噴き出して冷える
停電した交差点を直進すると 瓦礫の蓄積場に突き当たった それからの行動はあまり覚えてない
その夜のライブ撮影を終え 打ち上げに参加したものの 後に戻れない「行為」に混乱が始まる
酔うこともなく 真夜中の仙台駅前から市役所まで歩いた 車内の寝袋で遅くまで弟と話し続けた
俺は観光客か... 生死の空気で沈む街で いったい何をしたんだ 記念撮影か
お前は小さく死ね ...「もう 戻れない」と一瞬で感じた
撮影写真
4月25日
僕と弟はもう一度 沿岸部に行くと伝えて 残る
朝食を街のコンビにですませ 昨日の景色と目の前の交差点を行き交う車に違和感
待ち合わせの恋人 ベビーカーに話しかける若いおかあさん 携帯をみる会社員 朝の掃除風景
20分先の風景と ここの温度差は現実 歯をくいしばっているのか 震えながら歩いているのか
ここは運良く無事だった 停電から復帰した街は 新緑に見守られ動き出している
「よくわからない 知りたい」「人は強いのか?」
昼 雷雨になるまで 昨日と同じ道を走る 立ちすくんだ道の もっと奥と隙間に目を凝らす
帰りの東北自動車道 助手席の弟が僕の好きなロックだけを 5時間 車内に流し続けてくれた
5月7日
仕事で行って感じた違和感なのか ただ一連の行為全てに対しての 違和感と罪悪感なのか
知りたかった ケリをつけないと 自分自身で身動きが取れないと思い もう一度 ひとりで向かった
写真は撮らないでじっとしていたが たんぽぽが あまりにけなげに咲き誇っていたので 撮影した
撮影写真
5月11日 整理できぬまま サイト公開
なんの意味があり どこに続き どう酷評されようと どうでもいい
5月19日 ひとつのターニングポイント
【アゲマス】というサイトを知り 一対一の支援ができるという事で1週間前にギターを登録していた
そして この日 ギターの支援を受けたいというメールが深夜届き 3日後の5月22日に届ける約束をした
5月22日
仙台市青葉区の彼にギターを届けた 個人の自宅に向かう「人」が目的になった 初めての運転
少しやわらかい気持ちと 落ち着いた気持ちはなんだろう 待っていてくれる「人」がいるからか?
この日は妻も一緒 僕が経験したことを 自分の目で見たいと二人で向かった
今日まで感じた特に自分の直感など 手持ちの感覚と言葉に過ぎないとわかった
(その場で書いた言葉は明らかに以前考えた事の組み合わせばかり)
あやふやな違和感と苦痛は和らぐどころか 増幅する毎日が続く
撮影写真
6月12日
2台目のギターを高校生の女の子に届けた
石巻の親戚の家に避難していた彼女はギターを手にして笑った
この日 写真を撮りたい 真正面から向かいあいたい そんな気持ちになった
理由はわからない でも わからないなら わからない事を 迷っているなら その迷いも残せばいい
途中経過をそのまま残すという事に 意味を感じ始めてもいた
おそらく「結果」とは 体験したあとの「過去」で 時間の経過と共に検証し「ある程度納得」したもの
つまり「整理整頓」された事だと思ったからかもしれない
さらに「結果」に「納得」という意味が 少しでも混ざっているなら自分は「結果」は永遠に出せないだろう
ならば「心にたどりつかない言葉」こそが 今 自分で表現しようとしている事なのかもしれない
この未曾有の災害と原発が繋がった これからの世界を一変させる出来事(一変させてしまった)には
写真だけではなく 映像 現地の方の声 などの 途中経過が今後 いろんな物事に繋がっていく
そんな気持ちにほんの少しだけ 繋がった瞬間かもしれない
撮影写真
言葉と写真は たぶん「対」
わからないまま言葉と共に残すという事が 自分が撮影した写真が唯一存在できる意味かもしれない
言葉は写真を閉じ込めているのではなく........
言葉はギターの「弦」のようなもの
写真はギターの「音」のようなもの
心がギターの「指板」のようなもの
たぶん
和音が自分の「表現」かもしれない
追記
7月5日 君の誕生日にどうにかここまでたどりついたよ
君がもっと大人になった時の 君が生きている世界を
今度は僕に僕に教えて欲しい
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